大判例

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東京高等裁判所 平成4年(ネ)2562号 判決

控訴人

板垣晶子(X)

右訴訟代理人弁護士

加藤晋介

被控訴人

東京都(Y)

右代表者知事

鈴木俊一

右指定代理人

大嶋崇之

豊島光明

赤池洋一

島田幸治

理由

一  当裁判所も、控訴人の被控訴人に対する本訴請求は、失当であるから棄却すべきものと判断する。その理由は、次のとおり付加するほか、原判決理由説示と同一であるから、これを引用する。

原判決八枚目裏二行目の次に行を変えて、次のように加える。

「4 控訴人は、本件被疑事実たる不動産侵奪罪については、本件土地建物につき控訴人の占有が継続していたことを理由として、また、公正証書原本不実記載罪については、訴外浅野正吉名義で所有権保存登記をした建物は本件建物から独立した建物で、その実質的な所有権は控訴人に帰属することを理由として、いずれも犯罪として成立せず、本件逮捕は違法である旨主張する。

しかしながら、原審証人吉田秀弘の証言その他の関係証拠によれば、本件逮捕当時の捜査状況においては、控訴人が一旦本件土地建物の占有を放棄して無占有状態となった後、再び控訴人が訴外浅野正吉らと共謀して同訴外人を住み込ませ、新たに占有を始めたこと、訴外浅野正吉名義で所有権保存登記をした建物は、本件建物の登記面積を超える実測面積に相当する未登記部分に間仕切りをするなど若干の補修を加えたに過ぎないもので、独立建物ではないこと等の事実を裏づける関係人の供述その他の証拠が存在したことが認められる。」

二  よって、原判決は相当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岩佐善巳 裁判官 稲田輝明 平林慶一)

《参考》 東京地裁平成四年六月三〇日判決(昭和六三年(ワ)第八〇九九号)

【理由】

第二 事案の概要

二 争点

1 本件逮捕及び本件捜索等の当時、原告が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があったか。

2 本件逮捕の当時、原告に逃亡のおそれ又は罪証隠滅のおそれがあったか。

3 立川署警察官が原告から事情聴取をしないで原告を逮捕したことは違法か。

4 立川署警察官が、報道機関に対し、本件被疑事実に関する情報、特に原告が板垣退助の孫の妻であることを公表し、原告の顔写真を提供したことは違法か。

第三 争点に対する判断

一 争点1について

1 〔証拠略〕によると、次の事実を認めることができる。

(一) 原告と奥井の間には、本件土地建物の所有権の帰属をめぐり争いがあったが、原告は、本件土地建物を所有していることを前提にして、奥井外三名を相手方として、東京地方裁判所八王子支部に、昭和四〇年所有権移転登記抹消登記手続等請求訴訟(以下「甲事件」という。)を、同四四年建物所有権移転登記抹消登記手続等請求訴訟(以下「乙事件」という。)をそれぞれ提起し、奥井は、逆に本件土地建物を所有していることを前提にして、原告を相手方として、同裁判所に、同年家屋明渡・建物収去土地明渡請求訴訟(以下「丙事件」という。)を提起した。

右甲・乙・丙事件は併合して審理され、同裁判所は、同五四年五月一六日、本件土地建物の所有権が奥井に帰属すると判断した上、甲・乙事件について原告の請求を棄却し、丙事件について奥井の請求を認容する原告全面敗訴の判決を言い渡した(第一審判決)。

(二) 原告は、右第一審判決を不服として、東京高等裁判所に控訴したが、同裁判所は、同五七年四月二八日、原告の控訴を棄却する判決を言い渡した(控訴審判決)。原告は、さらに最高裁判所に上告したが、同裁判所は、同五八年七月一九日、原告の上告を棄却する判決を言い渡し(上告審判決)、第一審判決が確定した。

(三) 原告は、昭和五四年五月ころ、それまで居住していた本件土地建物から現在の住所に生活の本拠を移し、同五八年八月初めころまで本件建物は空き家のまま放置され、ほとんど廃屋に近い状態になっていた。

(四) ところが、同月初めころ、原告は、檜山と共謀の上、本件建物を補修し、同月二五日ころから浅野を本件建物に住み込ませた。

(五) さらに、檜山は、蘇武の名義で同年八月一一日に足立簡易裁判所に本件被疑事実記載の仮差押命令を申請し、同裁判所は同月一六日右申請を認める決定をし、これに基づく登記嘱託により、同月一七日受付をもって本件被疑事実記載の浅野名義の所有権保存登記が経由された。

(六) 他方、前記(二)の上告審判決は、同年七月一九日、上告時の代理人であった檜山の事務所(原告の現住所が存する原告名義のマンション富士ハイライズの七〇二号)宛に書留郵便に付する送達をもって送付された。檜山は、同五七年一〇月懲戒処分により弁護士の資格を失い、右判決の送達時には訴訟代理人の資格を有していなかったが、檜山と原告とは昭和一三年ころからの付き合いが現在に至るまで継続しているものであり、檜山は、原告と奥井との訴訟の代理人を務めた外、現在も原告の法律顧問的な立場にあることを自認している。

(七) 奥井は、同五八年一二月一七日、立川署に本件被疑事実を告訴事実として原告外三名を告訴した。右告訴を受理した立川署警察官は、告訴状の内容を検討し、告訴状に添付されていた登記簿謄本等の資料の検討、奥井を含む関係人からの事情聴取、東京地方裁判所八王子支部等の関係機関に対する照会、本件土地建物の実況見分等の裏付け捜査を一年余りにわたってすすめ、同六〇年二月二七日浅野と蘇武を、同月二八日檜山をそれぞれ逮捕し、同人等の取調べを行った上、同年三月一日原告を逮捕した。

2 ところで、原告は、昭和五八年七月当時前記上告審判決が言い渡されたことを知らなかったと供述し、証人檜山も同旨の証言をしている。しかし、原告はその供述に引き続いて「(右の判決正本は)檜山に送達されたが、檜山は受け取る資格がないと言っていた」と供述しているのであって、檜山に判決正本が送達されたことは認めている。前示認定の檜山と原告との親密な関係からすれば、弁護士の資格を失っていたとはいえ、上告時の代理人であった檜山が、依頼者である原告に対し、上告審判決が送達された事実を連絡しなかったとは考えられない。檜山は、原告の右供述は檜山宛に送られてきた別の郵便物を受け取れないといって返した事実と混同したものである旨供述するが、不自然であり、信用できない。原告は、自分の事件の上告審判決に関わるエピソードであるからこそ、右のような記憶があったものと認めるのが自然である。

なお、原告は上告審判決が言い渡されたことを知ったのは本件逮捕後であると述べ(〔証拠略〕)、他方、檜山は右判決を知ったのは昭和五八年一〇月上旬ころであり、そのことは直ちに原告に報告したと述べている(〔証拠略〕)。原告と檜山との間で、右判決を知った時期についてこのように食い違っていること自体不自然であるが、それはさておくとしても、檜山の供述では、単に本件建物を占有しているにすぎない法律には素人の浅野が、仮処分決定の送達を契機に自分で調査した結果、上告審判決の存在を知り、その旨檜山に報告してきたということになり、不合理である。上告審判決の言渡しを知った時期に関する原告本人及び証人檜山の各供述並びに右両名の陳述書の記載は、いずれも採用することができない。

3 以上の事実関係によれば、檜山は、昭和五八年七月下旬ころ上告審判決の送達を受けて一審判決の確定を知り、近くに予想される本件土地上に存在する工作物の収去、本件土地明渡しの強制執行を免れるための方策を原告と協議し、その結果、浅野や蘇武を巻き込み、前示(四)及び(五)の行為を実行するに至ったものと認めるのが相当である。

そうすると、原告には本件被疑事実の罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があったといえる。

二 争点2について

1 〔証拠略〕によると、次の事実を認めることができる。

(一) 立川署警察官は、昭和五九年四月二九日本件建物の補修を行った大工の加藤から事情聴取をした。檜山は、浅野からの連絡によって右事情聴取があったことを知り、原告と共に同年五月上旬ころ、王子駅の近くの小料理屋に浅野及び加藤を呼び、今後の対応策を協議した。その席で檜山は、加藤と浅野に取調べの際の答え方を教示した。また、そのころ、檜山は、加藤と浅野が供述すべき答弁の要領(〔証拠略〕)を作成し、浅野に渡した。

(二) 立川署警察官は、前示のとおり同六〇年二月二七日浅野と蘇武を本件被疑事実で逮捕し、取り調べた。取調べに対し、両名は被疑事実を全面的に認め、浅野は、原告から一日一万円出すから本件土地建物に居座ってもらいたいとの依頼を受けた、原告と檜山の依頼を受けて奥井に対し和解の申入れをした、旨を供述した。

(三) 立川署警察官は、同月二八日原告と檜山に対する逮捕状の請求をし、同日立川簡易裁判所裁判官から右逮捕状の発付を受けた。同署警察官は、同日原告を逮捕するため原告宅に赴いたが、原告は不在であり、その所在をつかめなかったため、同日は原告を逮捕することができなかった。同署において、逮捕した檜山の取調べ等により原告の所在を捜査したところ、原告が次男の経営するスナックの従業員宿舎である東京都国分寺市南町三丁目四番一二号クリスタルマンション二〇三号室にいることが判明し、翌三月一日同所で原告に任意同行を求め、同日午後一〇時ころ立川署で逮捕状を執行した。

(四) 原告は、逮捕状執行の直前の取調べにおいて本件被疑事実記載の行為(以下この意味で「犯行」という。)を否認し、裁判所も警察も信用できない、奥井に対する正当防衛である旨供述した。

2 以上の事実関係によれば、本件被疑事実が民事紛争に絡んだ背景を持ち、事案が複雑であること、容疑者及び関係人の数が多いこと、犯行の態様が計画的かつ悪質であること、檜山が加藤や浅野に対し警察の取調べに対する答弁の仕方を教示し、供述すべき答弁の要領を作成し、配付する等の罪証隠滅工作を行っていたこと、原告が逮捕状執行直前の事情聴取において犯行を否認していたこと、原告は浅野や蘇武の逮捕後その所在が不明であったこと等の事情が認められ、立川署警察官が原告には罪証隠滅のおそれ及び逃亡のおそれがあると判断したことには相当な理由があったものというべきである。

なお、原告は、〔証拠略〕は答弁資料ではなく檜山が仮差押事件を念頭に作成したものであると主張し、証人檜山も同旨の供述をしている。しかし、〔証拠略〕には檜山も認めるように虚偽の事実が記載されており、しかもその内容をみると、浅野と原告が知り合った経緯等仮差押事件とは無関係の事実が記載されているのであるから、右文書をもって仮差押事件のために作成されたものということはできない。

三 争点3について

以上一、二の事実によれば、原告のいう奥井と原告との間の本件土地建物をめぐる民事紛争は、立川署警察官が本件被疑事実につき捜査を開始した時点では、上告棄却による一審判決の確定により、既に解決をみていたのであるから、民事紛争の存在を前提に、本件の捜査が警察権の不当な介入に当たるとはいえない。

さらに、捜査機関が逮捕の前に被疑者本人から事情聴取を行うかどうかは、捜査機関の裁量に委ねられているのであって、被疑事実の内容、嫌疑の強弱、関係者の取調状況その他諸般の事情により、事情聴取を行うことなく逮捕することも十分あり得ることである。本件では、捜査機関は前示のような諸事情の下において、原告から事前に事情聴取することは相当でないと判断したものであり、右の判断が裁量権を逸脱したものということは到底できない。

四 争点4について

1 〔証拠略〕によると、次の事実を認めることができる。

(一) 立川署警察官は、当時土地高騰に絡む刑事事件が多発し、深刻な社会問題となっている中で、同種事犯の防止のためにも本件を社会に公表し、一般市民の注意を喚起する必要があると判断し、前示のとおり、昭和六〇年三月二日、警視庁記者クラブ加盟の報道機関に対し、原告外三名を本件被疑事実で逮捕したことを発表した。

(二) その際、報道機関から奥井が原告から本件土地建物を取得した経緯及び浅野と蘇武が犯行に加わるに至った経緯につき質問を受けたので、同署警察官は次の事実を公表した。

(1) 奥井は、昭和三五年ころ原告が板垣退助の孫の妻であり、元北海道長官の娘であるとの紹介を受け、由緒正しい人だとの印象を持った。奥井は、その後本件土地建物が金融業者のための担保に入っており、取り戻すためには五〇〇万円が必要であることを聞いて、原告の窮状を見かねて右金額を原告に融資し、さらに二回の契約を経て、本件土地建物の所有権を取得した。

(2) 浅野が犯行に加担するようになったのは、前からの知り合いであった檜山から、板垣退助の孫の妻である原告が悪い奴に土地を取られそうになっているので、助けてやってくれと頼まれたからである。蘇武が犯行に加わったのは、知り合いである浅野から協力を依頼され、紙幣に顔写真が載るくらいの偉い明治の元勲の孫の妻が困っているなら助けてやろうと思ったからである。

2 原告は、立川署警察官は原告が本件被疑事実の主犯であるかのような事実及び原告があたかも詐欺を行っていたかのような事実を公表したと主張し、本件被疑事実を報道した一部の新聞の記事には、「板垣は…(中略)…毛並みの良さを売り物に取引相手を信用させていたという」、「板垣は…(中略)…不当な手段を次々とあみ出して」との記載がある(〔証拠略〕)。しかし、立川署警察官が右記事のような事実を公表したものであったとしたら、本件記者会見に記者を派遣した新聞の多くに同様の記事が掲載されたものと考えられるところ、「毛並みの良さを売り物に…信用させていた」、「不当な手段を…あみ出して」との記事はそれぞれ日本経済新聞、朝日新聞大阪版に掲載されたもので、他の新聞には全く掲載されていない。

この事実からすれば、右のような記事は、それぞれの新聞社が警察の発表した事実以外に独自に取材した事実を加えて構成し、各社の自主的判断の下に掲載したものと認めるのが相当であって、立川署警察官において原告が本件被疑事実の主犯であるかのような事実及び原告があたかも詐欺を行っていたかのような事実を公表したものとは認めることができない。

3 以上の事実関係の下においては、立川署警察官が公表した事実は、原告外三名の本件被疑事実及びそれに関連する事実であって公共の利害に関する事実に当たり、前記1(一)でみたように、その広報は専ら公益を図る目的でされたものであり、その内容は真実であると認められるから、立川署警察官の本件広報は、何ら違法なものということはできない。

4 原告は立川署警察官が、原告が板垣退助の孫の妻であることを公表し、顔写真まで提供する必要性はなかった旨主張する。

確かに、原告が板垣退助の孫の妻であることは本件被疑事実を構成するものではなく、被疑者である原告の身分関係に関する私的な事実である。しかし、被疑者の身分関係等についての公表が全く許されないというわけではなく、被疑事実及びそれに密接に関連する事実は、たとえ私的な身分関係に属する事実であっても報道機関にこれを公表することは許されるものというべきである。

これを本件についてみるに、前示1(二)で認定したように、原告や檜山は、本件被疑事実の動機となった民事紛争の相手方当事者である奥井とかかわりを持つに当たり、また、浅野や蘇武を犯行に加担させるに当たり、原告が板垣退助の孫の妻である事実を知らしめ、奥井、浅野及び蘇武は、原告の右のような身分関係を原告に対する信頼の基礎に置いて、原告に融資したり、犯行に加担するに至ったものであって、これが被疑事実に密接に関連する事実であることは明らかである。したがって、立川署警察官が原告の身分関係を公表し、その顔写真を提供したことをもって違法行為ということはできない。

五 以上の次第であるから、原告の請求は理由がない。

(裁判長裁判官 石川善則 裁判官 春日通良 和久田道雄)

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